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強い心とは [心のケア]


境内の紅葉と鐘楼

お寺さんの有志で集まっている仏教の勉強会に出席してきた。この中で年長の方がおっしゃっていた話が気を惹いた。曰く「最近の人はいろんなことに対応できない。それは心がたくましくないからだ」と。

「たくましい心」とはどんな心だろうか? 俺なりにかんがえてみよう。自分の人生を振り替えると、最近心がたくましくなったなぁと思う。それはどこで感じるのかというと、ひとつにはさまざまな精神状態を体験したこと。いろんな人が、千差万別の心理状態を経験することを知ったこと。そしてそのいろいろな精神状態になりうる自分の心を、今はある程度コントロールできることを知ったことだろうか。

つい最近まで、自分が感じるいろいろな心理状態は外部の「誰か」や「何か」のせいで起こると思っていて、自分で制御できるものではないと思っていた。気持ちのいい状態はその環境に身を任せておけばいいが、望ましくない不愉快な心理状態はそういかない。

望ましくない心理状態を誘発しそうな環境に居合わせる時には、自分にその場にとどまるのか、その場を去るのかの選択権がある。これはわかっている人、このように現実に行動できている人には当たり前のことだが、慣れていない人にはなかなか出来ないことだ。嫌な場に居合わせることで他のものが得られるとか、何かを試してみたいとか、他に何も得るものがないので早々に立ち去るとか、人には選択権がある。俺は選択肢をもてる状態を「心に余裕がある」状態と呼んでいる。心の強さ、たくましさはこういうところにも関わってくるのかもしれない。

俺も「たくましく、強い心」をもちたい。たくましく強い心は乱されない。いつもおだやかで柔軟性に富んでいる。しかしストレスにさらされると心は理屈では扱えなくなる。何であれ外的な要因に心を乱されたくないということになる。

たとえば対人関係を冷静に考えてみれば、何人たりともむやみに人の心の平安を乱す理由はない。しかし現実にはそういうことが毎日繰り返されるわけだ。

ではどうしたら心を乱されないでいられるのか。逆説的かもしれないが、乱されない心とは、人の心を乱さない心だということではないか。他人の心の平安を乱さなければ、自分の心はより平安でいられるのではないか。

先程の年長の方がおっしゃるには「最近は我慢をすることがないから強い心が持てない」のだとか。勿論それは「むやみに我慢をすれば強い心が持てる」という意味ではあるまい。我慢をすることをきっかけに、自分の思い通りにならない現実を冷静に見て、受け入れ、そしてものごとの道理を知ることではないだろうか。道理というのは世の中の摂理であリ、法則である。


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コメント 4

makiri

赤毛のアンやアメリを見ていると独創的でおっちょこちょいで
ともすれば、自分の空想ばかり考えている身勝手な性格が
とても他人に思えません。

物語だから、良い話がたくさん書かれていますが、
実際には嫌われたり邪魔に思われたりするんだぞって思います。
けれど、mixiで赤毛のアンのコミュを見ると
「アンの強い心が好きだ」とおっしゃる方がいて
へぇ、そんな風に見えるのかとビックリしたのです。

なるほど、素直というのは強さなのかもしれませんね。
by makiri (2005-11-21 01:56) 

三平太

心の強さのイメージを言葉にするのは難しいね。「鋼鉄はいかに鍛えられたか」なんてのもあるけど(笑)、自分のイメージでは「飴を煉っている時」のようなかんじだろうか。粘り強く、変幻自在。素朴にして柔軟性に富みなかなか切れない。素直さはそのかたちや粘度を自由自在に表現してくれそう。
by 三平太 (2005-11-21 13:48) 

酔いどれ天使

心も秋の空のようにありたいものです。
by 酔いどれ天使 (2005-11-26 19:50) 

三平太

そうですねー。秋の青空に、だいだい色の柿や、真っ赤に燃えるように色づいた葉っぱをアクセントに付けたいですね!
by 三平太 (2005-11-29 18:31) 

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