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無題 [その他諸々]


休みたい


いま生きにくいと感じているすべての人たちへ [その他諸々]


夜回り先生こと水谷修さん。2ヶ月ほど前に、子供たちに語りかける姿をテレビで見て以来気になっていた。そして今日この人の本「子供たちへ」を目にした。

衝撃を受ける。

表紙に付いてる帯にこんな文字が。

「自分探しの旅、やめよう」

なんということだろうか、、、。
この人は言ってしまった。
誰も言えなかったこの言葉を言ってしまった。
この言葉に救われた人は多いのではないか。
さっそくこの本を注文した。

もうがんばらなくていいのである。

「いくら自分のことを考えたって、
すでに答は出ているし、
まだでてない答は永遠に出ません。
それよりも意識を外に向けて、
まわりに優しさをくばって、
人の笑顔を見る喜びを知りましょう。」

大人たちが耳を背けたがるような話を、
ストレートに子供たちに語りかける。
それを食い入るように真剣に聞く中高生たち。


俺もいま決めます。

もう自分探しの旅はやめます。


「おまえに人の痛みを忘れさせないために咳をだす」といっている [その他諸々]



夢を見た。重苦しく、リアルな夢。
黒い漆器のお膳がたくさん並んでいる。
この大量の、おおよそ20人分ほどの食器が
横になっている俺の胸を上方から圧迫してくる。

これはとある仏教系の宗派が毎年開催している
「苦難を乗り越えて、自信をつける」類いの、イベントである。
彼らはこの集まりに参加し、仲間と体験を共有し
苦しみながらも、成果を達成するのだ。
そして社会を生き抜いていく知恵と自信をつける。


それはいい。
では、なぜ俺がここにいるのかだ。


理由は--- なんとか説明できないこともない。
参加者の中に、自分が大事に思っている子供が一人参加しているからだ。
それより問題なのは、
俺自身がその子にそんなことをさせてどうなると思っていることだ。


そして、しばしの休息。
休息をとることだけが、いまの俺に必要なこと。
いろんなことが起こりすぎて、心身共に限界だ。


人間の死をあつかうということは、人間の生をあつかうということである。
こころの光の部分に焦点を当てるということは、
同時にこころの闇をも照らすということである。


そして、そのこころはときどき、
しばし放っておいてくれと、
そっとしておいてくれと、
つたえてくる。



というわけで、
すこし休みます。


涙をこらえつづけるきみへ [その他諸々]


今さらいうのも気はずかしい話だが、俺は昔ストリートミュージシャンを生業としていた。盛り場の街頭に立って、うたを歌ってしのぎを得る。つまり、そういう仕事をしていた。

うたを歌うのは子供の頃から好きで、うたなしの人生は考えられなかった。近頃平井堅が本人のことを「歌バカ」と形容していることをほほ笑ましく思う。

ひとくちに歌といっても色々ある。歌いたい歌、ハモりたいうた、ドラムを叩きたいうた、踊りたいうた、トロンボーンで合わせたいうた、静かにゆっくり聴きたいうた。一週間ほど前、ある曲を聴いたときに、このうたを弾き語りしてみたいと思った。そんな風に思ったのは何年ぶりだろうか。





 ♪ 夕暮れどきのさみしさよ
    小雨のあとに降る悲しさよ
    誰のためにもならないならば
    どこかに消えてはくれないか

 ♪ 愛しき人の肌のぬくもりよ
    忘れかけてたアノ歌よ
    僕のために
    もう少し現実のものとなっておくれ


         (サンボマスター「僕に捧ぐ」より)


これでいいんだ
これでいいんだ


儚いものを愛でる [その他諸々]


正月1日から高熱を出して寝込んでしまった。3日の朝になって熱が下がった。38度5分を超えるとうわごとを言うようになる。何も信じられずに鬼に囲まれてしまうのである。

熱が下がって、ひさしぶりに音楽を聴きながら洗濯物を干す。nobodyknows+の二十一世紀旗手という曲を聴いている。はかなさをめでるとはこういうことではないか。などと、意識が朦朧としたまま、ふとおもった。


未来 [その他諸々]


日本に帰国してから4ヶ月が経った。帰国したとき、あのときは夏だった。すべてが新鮮、遇う人、見るものがすべて感動的だった。夜中に歩いた大阪の路地。芝プールのそばの木陰。伊勢崎花火大会。高円寺、阿佐谷の高架下。沖縄の島々。台風。青い海。止まった時間。

イギリス帰りの、遅めの夏がいそがしく過ぎ去って、そしてその夏がいつまでもつづくような秋がきた。燃えるような夕日がゆっくりと沈んでゆくように、ときがたち、冬になった。冬はめずらしく冬らしく、多くの雪を降らせ、雪のしろさと肌を刺すような冷たさが季節感を演出し、たのしませてくれる。

広島に帰って3ヶ月が経った。長いような短いような不思議な感覚。日本に帰ってきて、自分は変ったな、と思う。豊かに彩られた季節の色々と、味覚、湿度、空気の感触。木の建物。お風呂。そして何よりも、こころを落ち着けることができる安全な環境。

俺は、日本にいることを選んだ。それは最終的に自分の決定だった。12月初頭に俺はあることを決めた。これはK先生の教えを実行したものだった。K先生はいう、人間は「決める」生き物なのだと。決めることが大事なのだと。

それからの俺は、もっと変った。と思う。なりたい自分にどんどん近づく。気がつくと、自分に必要なものや人が、必要なときに、あっちのほうからやってくる。いろんなことが繋がって理解できる。理屈では理解できないこと、子供の頃から苦しんできたことが、すこしずつ溶け出してひとつの柔らかいものになる。

俺は変って良かったなと思う。変りたかったんだなと。そして今年が終わって、新しい年がやって来る。♪きっと想像した以上に騒がしい未来が、、、。


双子の兄 [その他諸々]


初夏といった季節だろうか、空は青くすみわたっている。しろく帯状にただよう雲は比較的高いところにあって、空気はわりかた乾燥している。木々の緑はすこぶる鮮やかで、これに十分な湿気と蝉の鳴声がくわわれば真夏といったところだが、まだまだ日差しはやさしく、井戸水で冷やしたスイカを食べるのには早いといった感じなのだ。

子供たちはといえば、境内の鐘楼が知らず知らずのうちに「たまりば」になっていて、集まるのもここなら、ひと休みするのもここで、夕暮れに解散するのもここといった具合になっていた。4段ほどある階段を登ったり降りたり、大きくなった子はそのまま下へ飛び降りたり、降りてはまたなんとかよじ登ったり、土台の真ん中にうめこまれてある壺の中に隠れたりと、ここには大人が思いつくよりも多くの遊び方がある。

午前中にひときわにぎやかだった子供たちの歓声がきえ、ひとときの静寂をもたらす昼下がり、小学校高学年を迎える尊は、この鐘つき堂と呼ばれるたてものの、土台から高さ5、60センチほどのところに浮いている横木に乗っかって、遠くを眺めていた。濃紺の短パンをはき、白色の開襟シャツを着た背中が心地よい風を受けてゆれているのが見える。

白い石でできたの鐘楼の土台部分には、地面におっちゃんこをした少年、弟の敬がうたたねをしており、その石垣然としたところに背をもたれながら小さな呼吸をしている。ここで寝ているのはわたしで、尊というのはわたしの双子の兄である。双子を持つ親というのはえてしてこういう名前を付けたがる。

鐘楼の横木の上にたたずんでいる兄の左横には、小学校に入るか入らないかといった年ごろの男の子がいて、兄のほうにひざまくらをするようにして、その小さなうなじをあずけている。屋根がつくりだす日陰に、小さな干し大根のような大小4本の足がぶらさがっている。兄はその子が気づかないように、背中にそっと手を添えて、しばらく止まっていた時を再び動かし出すかのようにゆっくりと撫でている。

さて、ここに、本来は近くに住む女の子があらわれるのである。双子の兄弟とはひとつちがいで年下。赤い服を着た、ほっぺの赤い、いなかの女の子が、何かをはずかしがるように指を口のあたりに当てるといったしぐさをしながら、ゆっくりと鐘楼のほうに近づくのである。


人間のこころ [その他諸々]


オオジョロウグモ



今日かかりつけのお医者さんに行ったら、本棚でたまたまおもしろそうな本を見つけた。待ち時間がかかりそうなので手に取って読んでみた。




ノニ(ヤエヤマアオキ)の実



さて「人間のこころは宇宙より大きい」と言ったのは中村天風だという。つづけて言う。「およそ宇宙というものはこの世でいちばん大きなものとだれでも考えている。とにかく果てしがわからないものなんだからね。しかし、その果てしのわからない大宇宙よりも人間のこころのほうが大きいんだぜ。あなた方が晴れた夜、星のきらめく空を見ただけでも、見上げている空は大きいものの、見ているほうの心はそれより大きいじゃないか」



以前に親友の親友がブログに書き込みをしてくれた。「ビジネス書をいろいろ読んでも、最後には中村天風に行き着く」のだと。



ソテツの芽?

<今日のひとこと>

「物ごとは、素直に思えば通じる」

「心の安定を失うことの中で、一番戒むべきものは恐怖観念である」


秘密のビーチ


人に愛されるということ [その他諸々]



今日うちのお寺の本堂でシンガーソングライターの風呂哲洲さんのライブコンサートがあった。風呂さんは高校時代にうちの父の教え子で、それからは縁が深く、うちのお寺で何回もライブを開いている。

残念ながら、俺はコンサートを聞くことはできなかったが、終わったあとに母が作ってくれた甘酒を飲みながら、風呂さん夫妻、その相方(落語を披露されたらしい)ご夫妻、父と俺とでといろいろとお話をした。

相方のご夫妻は子供連れでいらしていて、元気な男の子がハイハイをして本堂の中を動き回る。生後11ヶ月。ときどき一人で立ち上がっては、どしんとしりもちをつく。尽きない興味と驚くべきパワーでめずらしいものを探して這い回る。このパワーはどこから出てくるのかというぐらいに、力強く、そしていきいきとしている。

その子のきらきらと光る瞳を見て思った。なんてかわいいんだろう。そして、お父さんとお母さんの幸せそうな、あたたかく慈愛に満ちた顔を見て思った。なんと安心なことだろう。それを見た父が静かに言った「みんなみんなこんな風に愛されて育ったんだね」。



外にでると冷たい雨が降っていた。そして俺は、いろんなことがあったけど、自分もこんな風に愛されて育ったんだなと思った。そして、人生の中で親や家族との関係に何らかの傷を負っている多くの人達に思いをはせる。俺は今日自分が愛されて育ったことがわかりました。あなたたちも、きっとそう思う日が来るかもしれない。もしそうでなくとも、きっと誰か自分のことをほんとうに愛してくれる人に出会える。



外は雨がしとしとと静かに降り続いている。最近の俺はこの雨のようにすこし泣き虫だ。



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人を愛するということ

安心するということ


人を愛するということ [その他諸々]


先日親類のところに遊びに行っている96歳になる祖母を、東京から新幹線に乗せて連れて帰ってきた。広島に帰る日、祖母を預かってくれていた千葉の叔母が東京駅まで一緒に車椅子を押して来てくれた。車椅子というとついつい身構えてしまう世代の叔母にとっても、大都会東京で車椅子を押して老人を介助するのは初めての体験であった。

かつて、初めて車椅子を押して介助旅行をしたときの俺がそうだったように、千葉から東京駅で新幹線に乗せるまでの2時間弱の間に、この叔母にも多くの発見があったようだった。俺はそれを素直に喜んだ。

三段分のステップがみるみる水平になり、車椅子すべり止め用の櫛歯が出てきて車椅子をそのまま運ぶことができる我孫子駅のエスカレーター。列車とホームの間に車椅子用の板を架けてくれる親切な駅員達。東京駅にある、駅員直通インターホン付の身障者専用の待合室。古いながらも、介助者と被介助者のプライバシーに配慮が行き届いた、身障者待合室の広いトイレ。東京駅の地下を縦横無尽に走る業務用の地下道。そこから新幹線のプラットフォームまで直行するエレベーター。見るもの見るものが新鮮でありがたいと感じる。

おばあさんを「受け渡し」するだけならば、羽田空港チェックインカウンターで祖母を「預け」、広島空港の到着ゲートで「受け取る」こともできたし、実際にそういう案もあった。

俺は以前にこの叔母にものすごくお世話になった。この人がいてくれたから、俺は東京でなんとかやっていけた。それから時が流れて、俺はこの叔母に恩を返せぬままになっている。祖母を介して、この共有できた経験を通して、やさしい叔母との絆が深まり、最近すこし元気がないように見える叔母が、もっともっと元気になってくれればと願うのである。そしてその願いはすこしだが叶ったような気がした。


<今日のひとこと>

誰かの面倒を見ることができる、ということは幸せなことかもしれない。



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