SSブログ
中国論 ブログトップ

中国が謝れないわけ [中国論]

中国に関する非常におもしろい記事を見つけた。『中国が謝る時』という題の旅限無(りょげむ)さんのブログだ。
http://blog.goo.ne.jp/nammkha0716/e/4659b5b852f66aabb13d0490a1f864e4

革命後の中国現代史において、謝罪が行われた事例を三つ挙げて「『謝ると血の雨が降る』それがチャイナです」と結論づけている。

彼の言うその三つの事例とは、大躍進失敗後の毛沢東、1980年のチベット自治区党委員会での胡耀邦、そして天安門事件で学生に謝った趙紫陽だ。僕は中国現代史の専門ではないので、ここに出されている個々の事例に対して「謝罪」が実際に行われたのかどうか、また何をもって謝罪としているのか等、くわしいことはわからない。ただ一つだけいえそうなことは、いずれの場合も「誰かのメンツが甚だしく損なわれている」ということだ。

なるほど、権力層における中華思想の具現はこうも激烈であったか。当方の記事にも書いたが(「日中問題? 中国とはどういう国か - 中華思想の表層的具現」
http://blog.so-net.ne.jp/sanpeita/2005-04-14)、古代からつづく熾烈な権力闘争の歴史は「悠久のロマン」などという見方ではすまされない。そういう観点を持って中国との外交にあたると、また違ったアウトカムが表出してきそうである。

さて、僕は最近中国の経済発展に一番貢献しているのは日本だと思って、胸を張っている(笑)。これだけ多くの内政問題をかかえながらも中国が発展し続けているのは、ひとえに民衆の不満が抗日運動に向かっているからだ。そして日本はしっかりとそれを精神的に支えている。

僕個人に関しては、親しい友人をのぞけば、あまり中国や中国人一般に何かを望むこともない。自分の身を守る術も、いくつかの中国人との非生産的な討論を経てようやく身に付いた。そして、これは外交、貿易関係などで責任あるポストにでもないかぎり、中国や中国人に対する特別の対応ではなく、永らく住んだイギリスやフランスなどを含め、普通の外国とその国民に対する基本的な姿勢になった。

いやはや、我々はどうも外国に、とりわけ西洋諸国や中国には多くのことを求めすぎる傾向があるようだ。悪いことではないが、その価値観で育つと、国外で遭遇する国際関係の局面ではなはだ疲れることになる。困ったものだが、仕様がない。

<関連記事>
日中問題? 中国とはどういう国か - 中華思想の表層的具現
http://blog.so-net.ne.jp/sanpeita/2005-04-14


nice!(1)  コメント(3)  トラックバック(2) 
共通テーマ:ニュース

日中問題? 中国とはどういう国か - 中華思想の表層的具現 [中国論]

最近の中国人の反日デモに端を発する一連の暴動とそれに対する中国政府の対応については、自分の中では、どういうことが起こっているのか非常にすっきりしている。もちろん中国語を学ぶものとしてはいささか残念ではあるが、中国語を学ぶと同時に、中国というのはどういう国なのかということも学んだつもりである。ただ、自分の周囲にいささかの動揺が見られるので僕の中国観について少し述べておくことにする。

現在、海外にある僕は、インターネットを見ることでしか情報を得られないが、そのかぎりにおいては、日本での報道関係の論調は、中国に対する先入観の影響かいささか過剰気味で、非常に不満を覚えるものがあって、自分の精神衛生上も良くないので、できるだけこの関係の報道は見ないようにしている。今回の一件では、どちらかというと以前は親中だった人間でさえ、「日本を消滅せよ」などと叫び暴徒化する中国の若者に「先の大戦における日本の罪に対する抗議」以外のなにかを感じたり、高慢な中国政府の対応に激怒したり、中国語学習者の仲間にも不安が見られたりしている。もしかすると、もともと反共で中国嫌いだった人をのぞくと、日本人が戦後に養ってきた中国観が大きく変化するきっかけとなるかもしれない。

さて、反日暴動とは直接関係はないが、読売新聞によると香港各紙の報道として、四月十日、中国の浙江省の村で、工場が排出する公害反対に対する抗議が暴動に発展したというニュースがある。同報道によると、これには三万人が参加し、老人二人が死亡。これは抗議を強制排除しようとした武装警察が抗議する村民に催涙弾などを撃ち込み、死亡した二名は警察車両に引かれ死んだのだとしている。また、このニュースは中国国内では報道が禁止されているという。件の香港紙がどれほど公正な報道をしているのかわからないが、北京や広州を初めとする各地の暴動も、中国当局は天安門事件の時同様に、上部の指令があればすぐに「鎮圧」できることで、必要があれば報道管制を敷いて死者の数さえ公式には隠蔽することができる。大弾圧を加えないまでも、排除を一切しないということは、同時に「黙認」するように指令がでていると見るべきである。そうするとこの種の暴動は中国政府の官製暴動と言っても過言ではない、ということになる。

さて、中国が今回のように、国内の反日感情を煽り、内憂を外患へと転嫁し、それを国際問題化することは予想範囲内であり、残念だが今後もこういうことが起こるだろう。これぞ四千年(人によっては五千年)という彼らの歴史の一断面にしか過ぎない。日本人は、どこかで中国を「偉大なる先達」と思ってしまう。だから春秋、左氏伝などに始まる中国の正統派古典を、いまだに儒教的価値観の染み込んだ中国へのロマンをもって読み続けてしまう。そのために主張される論拠には疑いを持ちにくい。しかし儒教的な価値観を排して眺めると、その内容は各王朝、王家が、対立する他の王家に対して、いかにその正統性を主張し、正当化するかを延々と述べた書物に過ぎない。太古に中国を治めた王朝と同様に、今の中共政府もその伝統を継承し政治を行っている。次の王朝に滅ぼされるまでは自分の王朝が絶対であり、絶対的な価値観に拠っているので、外から見るとおかしなことでも、中ではなんの矛盾も生じない。だからこそ中国国内でこれだけの反日暴動が起こっているにもかかわらず、日本における横浜の中国銀行支店への嫌がらせに対して、「これは中国に対する『テロ』だ」などと中国高官が平気な顔をして非難できるのだ。

これは中国の文化である。多くの民衆にとって「世界の中心」としての「強力かつ絶対的正統な中国」という大きな虚構、つまり「中華」に自己同一化することは特別のことではなく、政府はそういう民衆をうまく利用しているに過ぎない。支配層、被支配層両方を含めた、その微妙な精神構造こそが中華思想の本質であり、一つの価値体系である。

日本政府は日本国内では中国に配慮しているというよりも、善良な「日本の国民感情」に配慮しているようにみえる。変っているのは、中国に住む日本人や、日本に住む中国人が動揺するのなら話はわかるが、日本にいる日本人までがこういう状況に一喜一憂してしまうことである。国際問題に関心が高いのは良いことだが、僕は基本的に今回のような事件は、日中問題でも国際問題でもなく、中国の国内問題だと思っている。同時に日本政府幹部が、中国政府に動揺させられた日本国民の顔色を窺うのも日本の国内問題である。

<関連記事>
中国が謝れないわけ [中国論]
http://blog.so-net.ne.jp/sanpeita/2005-05-09-1

<関連ニュース>
中国浙江省で3万人が暴動、2人死亡か…公害に抗議
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050412-00000414-yom-int&kz=int
中国銀行事件はテロと非難 中国外務省副報道局長
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050412-00000201-kyodo-int


nice!(4)  コメント(11)  トラックバック(1) 
共通テーマ:ニュース
中国論 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。