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有刺鉄線 [その他諸々]

今日の昼過ぎ、天気が良かったので走りに出かけた。自分が卒業した小学校のグランドのそばを走っている時に、ひとつ気がついた。

昔は自由に小学校の中に出入りできたものだ。とりわけうちの小学校は、正門から西門に至る校内の道がかつての町道(公道)になっていたため、夜になっても門が閉じられることさえなかった。

小学校にフェンスが出来て、周囲と空間を分断させてから久しいが、今日驚いたのは、そのフェンスの上に有刺鉄線が三段にわたって張ってあったことだった。門はきっちりと閉ざされ、子供はまるで監獄に通うようだ。

今から10数年前、大阪市西成区の釜ヶ崎(あいりん地区)で暴動があった。釜ヶ崎は東京の山谷(さんや)、横浜の寿町(ことぶきちょう)、名古屋の笹島(ささしま)などと並ぶ日雇い労働者の町だ。僕の知る限りでは、この釜ヶ崎暴動が現代日本で最後の暴動だった。


うちにあるビワの木。以前はとなりに大きなビワの木があった。その木は数年前の台風で根こそぎにされ倒れ枯れてしまった。この写真はそのビワの木の子供。ゆっくりと大きくなっている。

さて、当時釜ヶ崎のドヤ街のそばに家族と住むおばさんと話しをしたことがある。彼女の子供は3人でみな釜ヶ崎の小学校に通っていた。その小学校のそばを通った時に、彼女が「小学校に有刺鉄線が張ってあんのんは、広い日本といえどもここぐらいのもんや」と言っていたのを思い出した。

俺はそんなに危険な町に戻ってきたのか? 巷ではゆとり教育の失敗が声高に語られ始めた。この有刺鉄線は誰から何を守るのだろうか。この鉄線がゆとり教育と対局にある何か、もしくは、批判され始めたことと常にパラレルに存在し、かつ依然として見過ごされている何かを表しているように見えた。


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