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初めてロンドンに来た時(1998年) [イギリス回顧録(1999〜2005)]

今日ロチェスターから帰ってきた。クラスメートのイギリス人に招かれたのだ。さて、ロンドンに帰ってくると到着した駅は、ビクトリア駅だった。改札を出て、駅のコンコースからひと足外に出ると、ネオンがほのかに輝く駅前の光景が広がっている。


今でも強烈に印象に残っているビクトリア駅前の風景。

1998年の暮れ、僕は相棒と二人でロンドン・ビクトリア駅の前にたたずみ、少し途方に暮れていた。ヒースロー空港に着き、初めてロンドンの地下鉄に乗って比較的安いホテルが多いと言われたビクトリア駅を目指したのだ。まずピカデリー線に乗って驚いたのは、乗っている人達が話している言葉が何語だか分からないということだった。空港と連絡している路線なので、英語以外の言葉を話している人も多かったであろうが、それにしても「ちゃんとした英語」を話している人がいない。

ビクトリア駅で降りて、制服をきた国鉄の職員に話しかける。何を言ってるのかよくわからない。みんながBBCのような英語を話すと思っていた僕はこうして英国の洗礼を受けた。


この6年間の間に出発案内が電光掲示板になり、自動改札が導入された。来た頃と比べるとずいぶん近代化した感があるビクトリア駅のコンコース。


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ロンドンの物乞い(1) [イギリス回顧録(1999〜2005)]

大英博物館のそばホルボーン駅のバス停でバスを待っていた。時間は夜の2時、待っているのは家に帰るためのナイトバスだ。平日の夜は30分に一本しか無い。バス停につくとあと20分以上もある。ファリンドンに行きたいと言っているフランス人二人組に道を教えたり、日本食品店でもらってきた日本人向けフリーペイパー「週間ジャーニー」と「週間ニュースダイジェスト」を読んで時間潰す。

すると、初老の男性が話しかけてきた。

「お金がなくて食べるものがない。5pめぐんでくれないか」
「5ペンス?」
「ええ、5ペンスでいいんです」

5ペンスといえば日本円にしてたった10円。ロンドンでは泊まるところがない、食べ物が買えない、家に帰るお金がない、泥棒に遭ったなど、さまざまな理由でさまざまな人達がお金を恵んでくれといってくる。それにしても5ペンスとは少なすぎる。いったい施しをしようと思う人のどれだけが言われた通り5ペンスを差し出すだろうか? 

はじめ僕に話しかけてきた時、彼の顔は両眼が半分白眼を向いていて、それがかすかにぴくぴくとけいれんしていた。意識も朦朧として、歩き方もどことなくちぐはぐとした感じで、何かいろんな不運に見舞われて、何もかもうまく行かず不幸なのだという雰囲気だった。僕は最初、持っているだけの小銭をわたそうとしたのだけど、1ペニーや2ペンス硬貨ばかりで、あまりに額がこまかいので、5ポンド札(1000円)をあげようと思った。しかし、財布の中には10ポンドと20ポンド札しかなく、結局10ポンド札をあげることにした。

「じゃあ、10ポンドあげますよ」

というと、彼の顔が完全に変っているのに気がついた。さっきまでの半分白眼をむいた顔は、健康な人のそれそのもの。意志をはっきりともった真顔になって、その目を大きく見開いている。背筋もしゃきっとして、どうみてもさっきの人とは別人だ。

「え、本当に? どうもありがとうございます。神の祝福がありますように」

かれはそう言って立ち去っていった。


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