安心するということ [その他諸々]
今朝境内の雪かきをしていた。雪をはねながら、ふと子供の頃のことをを思い出した。
大雪が降るとものすごくはしゃいで、日が暮れるまで雪かきをしたり、雪だるまを作って遊んだ。大汗をかいてそのまま身体が冷えても、夢中になって遊び続けていたのだろう。
その夜にはきまってぜんそくになった。日が落ちて家に帰ると、なんとなくぐったりして具合が悪くなり、いつしか発作がおこり、未明には父に救急病院に運ばれた。
呼吸ができない。生命活動の維持するための基本的な活動が脅かされている状態。これがどんなに苦しいものだったか、今ははっきり思い出せない。
しかし、これは最低、毎年一回はある恒例の行事だった。ぜんそくは苦しい。でも、今おもい出してみても、その苦しさよりも、誰かがそばにいてくれる安心感のほうを感じて、ほっとする。
今思えば、それは家族への無意識の合図だったのかもしれない。ぜんそくの発作がおこれば、だれしもがおれのことを構わざるを得ない。そばにいざるを得ない。
雪が降ると、俺は何かからのがれるように、夢中になって、何もかも忘れて遊んだ。この時だけは百パーセント子供になって、取りつかれたように遊んだ。そしておきまりのようにぜんそくになった。
ぜんそくになると治るのに時間がかかった。そして苦しい。何日も思うように息ができないのだから、子供にとってはこの世のおわりのような苦しみだ。
その苦しさはもう思い出さない。でも、おもい出そうとすると涙がこぼれる。長くかかるとそれだけやさしくしてもらえる。そんなことを子供の俺は無意識にわかっていたのかもしれない。それがどれだけのリスクをともなうものかも考えずに。
昨日診てもらったかかりつけのお医者さんに聞かれた。「最近、ぜんそくはでてないんですか?」。俺は笑いながら「あっ、ぜんそく。すっかりわすれてました」と答えた。
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信念 [その他諸々]
一念という言葉がある。死んだおじいさんが一念にはふたつの解釈があるのだと言っていた。ひとつには極めて短い一瞬の時間という意味。もう一つには何かを信じる心が生まれ、確信に至る瞬間のことだ。
待てども待てども得られないもの。望んでも望んでも決して得られなかったもの。それを得たと知る時、それを得た瞬間は、本当に気がつかないほどの一瞬のうちだったことがわかる。天から星が降ってきたように、ありえないことが突然に自然に起こるのである。それが念である。
そして、そのときにはもう心が決まっている。それを信じる心が生まれている。念の意味を知ると同時に、このことを知るのである。そのとき心は大きな変化に戸惑いながらも、変化を受け入れる準備ができている。理性で何を言ったところであとは言葉で理屈をつけているに過ぎない。それが信なのである。
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恐怖と安らぎ、喜びと不安 [その他諸々]
鉄とコンクリート
そして雨の風景は
僕の奥底にあった記憶を思い出させる
不思議な気持ち
なぜこんなに涙があふれるのか
なぜこんなに胸がせつないのか
それは恐怖と安らぎ
喜びと不安を同時に与えてくれる
(津田雅美「彼氏彼女の事情」より)
雪色 [その他諸々]
先日の大雪の日の情景。白くて静かでそして暖かい。雪の中にたたずむ広電の旧型電車。昔住んでいた札幌を思い出す。
うちの寺も風情が増してしんみり。
子供たちも大はしゃぎ
<今日のひとこと>
「人の心に時間はない」
(友人のギョロちゃんの言葉)
父 [その他諸々]
夜中になにか怖くて目覚める。昔はよくあったが、最近はそんなこと忘れていた。
子供の頃からこういう夢を幾度となく見続けてきた。きょうはそれを久しぶりに味わった。
この夢は、この世の終わりかと思うほどに、ぞっとするほど怖い。今日は自分を励ましながら、この恐怖が過ぎ去るのをじっと待った。
午前3時過ぎ、恐怖は去ったが寝れないので、2階の寝室から下の台所に降りる。寒いので自分の勉強部屋に戻る。
台所の方から物音が聞こえてきた。俺が台所に行くと、父親が立っていた。物音が聞こえたので起きてきたのだという。薄暗い台所で、前の日に母がこしらえてくれた甘酒を暖めながら、父と話しをする。
今までに、こんなおだやかな気持ちで、父親と話をしたことがあっただろうか?
俺は、子供の頃よく泣いては起き出してきて、父親のひざの中で寝入っていた話をした。さみしかったんだろうといった。
すると父が、にこにこと笑いながら「父さんと一緒に寝るか? ひざの上で寝るか?」と言った。そしてひとこと「大丈夫よ」と付け加えた。
俺は「ああ、日本に帰ってきて良かった。生きていて良かったな」と思った。
なみだ色 [その他諸々]
龍田川錦織りかく神無月しぐれの雨をたてぬきにして
秋が終わりをつげる頃、紅葉の葉が川を流れている。それは十月の時雨を経(たて)の糸と緯(よこ)の糸にして、多彩な錦の織物を織っているようだ、というように、雨に濡れて美しい紅葉の景色を織物に例えているのだ。(吉岡幸雄著「日本の四季を彩る和みの百色」より)
この歌を読む時、どうしてこんなにも感動するのだろうか。今は自分がこういうことに感動できること、それ自体を素直に喜べること、それを素直に喜びたい。
新横川橋北詰にて。見つけた時には、、、やっぱり感動しましたね(笑
雪化粧した五つ神社
一瞬の時間 [その他諸々]
一瞬の時間のことを刹那(せつな)という。もともとはサンスクリット語で仏教の用語だ。広辞苑によると、指をはじく一瞬の間には65刹那あるという。
昨日同級の友人と共に、卒業した中学・高校を16年ぶりに訪れた。今年は俺が同窓会の忘年会幹事を任されているので、恩師の先生方にその案内に行ったのだ。先生方の懐かしい顔を見て、はなしをする。在校の中学生・高校生達の若く明るい顔を見る。当たり前のようにみなぎるエネルギーを感じる。運動場、新築された校舎、「シュミレーションゲーム」に出てきそうな中庭(笑)、食堂、体育館。
一瞬、自分が今どこにいて、何をしているのかわからなくなる。
まるで時間軸と空間軸の割れ目に落ち込んだような
そんな眩暈を覚える。
これは錯覚なのだろうか。
何かが起こるとき、それはゆっくりと起こる。
ゆっくりと、漠然と、何かが起こっているかもしれないと思う。
あるとき、それがはっきりとした確信をともなって
確実に起こっていることを知る。
それ意識する時、
それを自分が知るに至った時間が
本当に一瞬の間に起こったことに気がつく。
その一刹那は、驚くほど短い時間だが、
その間に起こったことを識ることは、
さらに得難い。
<今日のひとこと>
「謙虚な挑戦者であれ」
(昨日母校の校長より頂いた言葉)
明け方の素顔 [その他諸々]
忘年会シーズン。夜の街に出て騒ぐことがある季節になった。そのわいわいがやがやが終わったあと、明け方にしらふに戻りながら話す会話が好きだ。
多くの人が、社会的コンテクストの中でひとつの役割を演じている。そのひとのイメージは、多くがその演じている役から印象に残っていく。
その人が社会的に演じる役は、それはそれでひとつの真実であり、リアリティでもある。そして、酒が冷めていくうちに、その役目を終えていくうちに、そのひとのもう一つの側面が見えてくる。
そして、往々にしてそのひとが演じているその役割と、そのひとの素顔のギャップに、数多くの目に見えない「何か」を感じることができる。
おれは、そのひとのもう一つの面、それを見、感じることが好きだ。そうすることで、そのひとの人生を、そのひとが大事にしているものを垣間みることができるような気がするから。
おれにとっては、そのギャップこそが、一種の、非常に大切なファンタジーなのだと思う。それを見ていくこと、感じていくことは、おれの人生の中でかけがえのない宝物なのだと思う。
<今日のひとこと>
「精一杯生きる」
スノードン登山鉄道 (Snowdon Mountain Railway) [イギリス紀行]
英国のウエールズ。スノードン山はウエールズきっての観光名所。急勾配を登るため、軌道の真ん中に歯車を設置したアプト式登山鉄道が有名。小さな客車を小さな機関車がゆっくりと押していく。
ウエールズ語と英語の二重表記。上が英語で下がウエールズ語。
ちょっと退屈。
ひとつの道
ひと時の休息